2016年11月2日
750Turboのレストア日記
俺の人生のひだまりは何処に・・・
毎度のグダグダ旅日記に、最後までお付き合いありがとうございました。
弓削島の街での夕食は、なかなか面白い体験でした。
たまには外での食事もイイもんですね。
30年ぶりの広島は大きく変化しており、当時を思い出すようなところはなかったです。
当時入ったお好み焼屋さんはオバサン一人の店で、鉄板に野菜を超高く積み上げてビビらせるようなパフォーマンス?をみせてくれましたが、今回入った「新ちゃん」さんでは、そういった芸はなかったです。
テンテコ舞の忙しさだったので、そんな余裕はないのでしょう。
二代目のお兄さんらしく、「30年前だと親父の時代で僕は知らないです」との事だった。
呉、江田島周辺も、記憶に合致するのは立派な音戸・早瀬両大橋だけでした。

30年前は「国民宿舎 音戸ロッジ」という宿に泊まりましたが、そこはもう日帰り温泉施設にリニューアルしたようです。
「国民宿舎 能美海上ロッジ」さんは来年閉館という事で、是非一度泊まっておきたかったのです。
記憶に残る、特徴的な建物ですね。

最終日は尾道ICから高速道に入り、渋滞回避のため例によって甲賀土山IC降り〜鈴鹿スカイライン経由で午後5時過ぎに無事帰還しました。
全体的には交通量が少なく快適に帰ってこれました。

最終日に511Km走り、全走行距離は1551Km。焚いたガソリンは約72Lでした。燃費もマズマズかな。
さて、後始末の宿題。カウル修理に取りかからなくちゃ。/(´ω`;)\
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もちろんお酒も飲みました。ここでこの酒に出会うとは思いもよりませんでした。
最後に寿司をタラフク食べて。〆の赤だしは無料です。ご馳走さまでした。
今夜は珍しく宿から出て食事をする事に。
弓削港の周辺がこの島のメインスポットらしい。
真っ暗な島内をテクテク歩くこと10分超。
宿の部屋の案内帳に掲載されていた、酒が飲めそうな店を探してみる。
ところが、探し当てても夜間は営業をやめていて、昼の弁当店になっていたりする。
外からは伺い知れなかったが、店内は超大勢のお客さんで満杯であった。
ほぼ100%島民と思われる。
カウンターの隙間に座ると「本日は寿司祭りの日ですから、注文を紙に書いてください。」と、いきなり言われた。
初めは意味が全く解らず???困り顔でマゴマゴしていると、隣席の人が親切に教えてくれた。
今日はこの店の「すし祭りの日」らしく、注文できる品は限られるが、寿司は二貫(一部一貫)100円らしい。
その影響での大繁盛だと理解した。最初は熱気ある雰囲気に圧倒されました。σ(^_^;)アセアセ
肉脂系には辟易していたので、とにかく刺身盛を注文。
注文した後から、「みんな寿司にしとけば良かったかな・・」とも思ったが・・・・。
とにかく魚が食べたかったのです。
宿から歩いて行ける飲食店は、事実上数店のみだ。
タクシーも無い(未確認)感じだし。
上島町役場の一階に店舗がある「ととや」さん。
「お寿司屋さん」と言うフレコミだったので少しビビッたが、ここで食事をする事にした。
もう一店舗他に「海鮮大黒丸」さんも有名らしいが、残念な事にこちらは定休日だった。
広島観光を済ませて、午後三時半に呉到着。
大和ミュージアムへ。
戦艦には興味がない私にはイマイチかな。
私にはこちらのほうが合ってたかも?
「海上自衛隊呉資料館」
時間切れで入らず。残念。
最後にこの店の「すし祭りカレンダー」を見てみたら、結構な頻度で祭っていた。
平日は、ほとんど祭りじゃん!
まぁ、とにかく大繁盛で、美味しくてお値打ちなお店でした。
カウンターで隣席になった親子(かな?)の若い姉チャンが、孤独な私の話し相手をしてくれました。
彼女は弓削島出身だが関東居住で、数年来の帰郷だとか。
彼女も言わば私同様ヨソモノ状態で、この寿司祭りには興奮してらっしゃいました。
ヨソモノ同士アレコレ話し、「私が作った詩の歌碑が港にあるので、是非観て帰ってくださいね。」と言われました。
「明日観てから帰ります」とは言ったものの・・・
「校歌か、島の祭り音頭でも作ったのかねぇ・・・?」
そんなこんなで、四日目の朝が明ける。
今日も雲が多いね。
弓削島を離れる前に港の公園へ。
夕べの彼女が書いたと言う詩は、Le Coupleのヒット曲「ひだまりの詩」だったようです。
こんなまじめな詩を書くような女性には見えなかったけどなぁ・・・。
これから精進すれば、俺でも立派な詩が書けるかもな!
作詞家のお姉チャン、約束通り観たで〜。(^_^)/~~
心配だった広島市街地もスムーズに走り、まずは広島城。
ここも二輪車は城近くまで進入可。駐輪無料。
広島市内観光は、市営大手町駐輪場に停車。
広島市内にはこのような駐輪場が各所にあります。
ここは地下2階で、走行通路が狭くて少しビビリました。
ルートを迷ったが、前日走って勝手の知れた、尾道市街〜R184〜尾道IC〜広島ICと言うルートを走った。
10時45分広島IC着。高速道路上で予想外に若干の降雨に遭遇した。
高速道路上では少し飛ばし、バリィさんの魔の手を振り切った。
⊂=⊂=⊂(┛゚Θ゚)┛ビューーーーンッ!!
原爆ドーム
入ったお店は「新ちゃん」さん。
私がなぜこのお店を選んだかは、分かる人には分かるハズ?
ここは、繁盛店で市民の方や外国人客で満杯。
ところがこのお店の向かい側にある「カープ」さんには、お客さんが誰一人いなかった。
日本一を逸した広島カープへの、市民の落胆が透けて見えるようで痛々しかった。
p(・∩・)qライネンガンバ!
呉から江田島方面へ。
R487の音戸大橋ループ橋。ここも30年前に通りました。
橋までぐるぐる回って登る名物橋ですね。
「能美海上ロッジ」さんはその名の通り、海の上に建っています。
老朽化のため、来年3月で閉館になります。
部屋は昭和の国民宿舎感満点である。
正直「フェスパ」さんの次にここに来ると、一瞬カルチャーショック状態に・・・。(゚ロ゚;)
この旅最後の酒は、江田島の酒「島の香」。
サッパリしたテイストの、飲みやすい酒であった。
私以外のこの日の宿泊客は、今時珍しい子沢山の若夫婦と、大浴場で寝ていた正体不明おじさん、そして一人旅の若い女性であった。
来年で閉館する建物の館内設備は全体的に耐用限界を迎えており、宿泊客の増加も見込めないのであろうか、建て替え等の対応はないそうだ。
環境は良い場所だし、なかなかみられない個性ある形態の建築物なのに勿体無い事だ。
この日の走行距離は189Km。
最終日の朝。宿の周辺を散歩してみた。
潮か引いており、宿の前の海にある小島の神社?らしき祠まで道が出現していた。
流石国民宿舎。ここも静かで環境が良い立地条件が揃っていますね。
朝食を食べ終えた8時過ぎには、道は水没していました。
さて、そろそろお家へ帰るとしよう。
最後に料金清算。食事・酒込みで10,400円でした。
「能美海上ロッジ」さん、お世話になりました。
再び江田島をR487で折り返し、音戸大橋から広県66経由でR185へ。
瀬戸内を広〜竹原〜三原と海沿いの道を快走。
三原から広県55で再び尾道ICへ戻った。
想像したよりずっと走りやすい快適な道だった。
左の画像は、三原市のR185にて。
かなたに微か見える橋は、しまなみ海道・多々羅大橋?かな?
平和記念公園
そして30年ぶりの、「お好み村」。
当時、パチンコ屋の廃屋のようだった建物はビルに建て替わり、面影は全く残っていません。
牡蠣いかだが並ぶ静かな湾内の景観は、なかなかのものです。
お寿司の注文は、こんな感じで書きます。
朝から宿のフロントに駆け込み粘着テープを貰う。
透明テープを所望したが無かった。
まっ、贅沢は言えぬ。走れれば良しとしよう。
弓削島の「インランド・シー・リゾート・フェスパ」さんは、綺麗で快適な、まさにリゾートな宿であった。
料金は二泊酒代込みで16,210円也。
二日間お世話になりました。
今はバイパスが平行して作られ、橋も立派なものが新たに架けられています。
そして午後四時半に、今日の宿「国民宿舎 能美海上ロッジ」さんに無事到着。
おそらく天然温泉であろう、茶褐色のしょっぱい温泉に入った後は夕食タイム。
随時料理は運ばれて来るので、画像よりもっと品数はあります。
そして、ここまで無事の褒美に、今夜は焼牡蠣をつけた。
これは激ウマであった。\(^ω^)/
宿の周囲には猫がたくさん居る。
風呂場で寝ていたおじさんが、立派なカメラ掲げて猫撮影していた。
どうも猫?写真家だったらしい。
気まぐれな猫相手に、凄く上手に撮影している風だった。
帰路は一般道を瀬戸内回りで再び尾道ICまで走り、そこから高速道で一気に帰還という算段である。
初めて走るルートなので、能美海上ロッジさんのカウンターレディーに「瀬戸内周り三原経由で尾道インターまでどれくらい時間がかかりますかね?」と聞くと「3時間」との回答だった。
本当にジャスト3時間だった!流石である。